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#自分史のブログ  山の辺書房自分史編集室より 連載第六回

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第六回
「書きはじめ」の重要性

 自分史などの通常の原稿は前述(例その一)(例その二)の如く、まず主人公の詳しい説明から始まる。
あれも、これも、……と欲が出るのか大変長い文章が多い。読み手は、余程のことがない限り、この冒頭部分で本を閉じる。


 書きはじめとは、謂わば、物語の森への呼び込み人だ。つまり、森の玄関口なのである。

 放浪記でおなじみの林芙美子女史は、この書きはじめ数十行に拘り何十回も直しを行い大変な努力をしたことは有名な話だ。


 あの大文豪トルストイなどもそうだ。つまりは、洋の東西を問わず殆どの文豪も同様に苦労した。それ程に[書出し数ページ]はフィクション、ノン・フィクションを問わず物語全体で最も重要なところなのである。

 

 ● わたしの実践している「文章描画法」では、この点に注目。その方法とは第一行目から読み手に強烈なイメージを与えることだ。主人公が最も表現したい一場面(永い人生を回顧するとき、決して忘れ得ない場面というのが誰にでも一つや二つある筈) を、会話を主とした台本的記述でこと細かに表現する。その会話文はノン・フィクションでなければ書けない詳細な言葉が飛び出す筈。

 このとき、決して気取ってはいけない。より面白くしよう、もっと迫力を出そう、などの創作気取りは命取りになる。あくまでも真実。この点が要注意。
    
 第一シーンの段階では未だ、この物語の主人公は誰で、場所はどこで、家族構成はどうで、時代背景はどうで、などベースになるところは全く書かない。読み手が判ることはただインパクトのある主人公の、或いは、家族に起こった大事件か、大騒動か、又は、それに類する事象の一シーンだけだ。

 

 テレビのスイッチを入れる。先ずタイトルが流れ次に最初の場面が現れる。もっとも、予告などで予備知識があれば別だが、大抵の場合は何も知らされていない。そこで、「さぁ どうなるのか……」という想像のスイッチが入る。予備知識が無いということは、頭の中は空っぽで真っ白な状態なのだ。そこに、強いイージをもった「文章描画」が出現するわけで、このファーストシーンの出来栄えが最高なら読み手はド胆を抜かれ、同時に「何だこれは……」という意識を抱くことになる。
 何度もいうがこれがわたしの狙いどころなのである。

 

●さて次に、第二のシーンに移る。あらためていうことではないが文章描画は本物の画像ではない。画像のもとになるシナリオ台本の文章画像だ。あるのはポイントをおさえた簡単な説明と、登場人物の重要な意味を含ませた仕草を描写した短文のみだ。読み手は、それらを理解しつつ含蓄ある心の叫びの「セリフ」を読むことになる。会話というものは、聞いても面白いが、読むと更に味があり、想像力をかきたてられる。

 

 ここに、文章の神様といわれた文豪、志賀直哉さんの大正時代に出版された[夜の光]という作品集がある。わたしの大好きな短編集だ。なかでも、大正六年七月に発表された「好人物の夫婦」というのがあり、この作品の会話部分が実に素晴らしいというか面白い。どんどんイメージが湧いてくる。
 次に抜粋してみましょう。

続く

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