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#自分史のブログ 第四回 山の辺書房自分史編集室

第四回
自分史の典型的な例…

 

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(例その一)

 徳川三百年の武家政治も清算され、世は正に明治新政権に移らんとして上を下への騒動の真っ最中、慶応三年も早や暮れようとする師走の二十一日、○〇の国○○村の一隅で、○○の二男として父は生まれ幼名を○○と命名された。……云々。

 

(例その二)
 私の家系は○○川の上流現○○村のひなびた里で、父○○、母○○の次男として産声をあげた。長男は農業で……云々。

 

 ○○家は先祖代々農業を営み、村では中以上の財産家であったが、本家は長男が相続した。この人物は人並み外れた欲深のため……云々。

 

●これまで扱ってきた生原稿(既刊本含む)、そのほとんどがこの調子だ。自伝・自分史だからこの書出しは正しい。
 自分の歩んだ道程を記すのだから先ず自己紹介から始まり、順序を追って書き綴るのは当然だ。それで、著者のみならず自伝づくりに携わる者は、このやり方を疑いもなく当然のこととしてやってきた。謂わば、自伝・自分史づくりの正道といえる。


 こうして作られた本は、その出来栄えも立派でケチのつけようがない。書いた本人も満足。印刷業者・出版社も能事足れりということで代金を貰う。一応成功裡に出版祝賀会となる。


 ところが、ここからが問題なのだ。
 著者は得意満面で各所に寄贈したり、場合によっては知人・友人に買ってもらう。が、その先までは予想がつかない。そこには、わたしのように何十年もこの仕事をつづけてきたものにしか見えないものがある。それが、
「殆ど読まれていない」
 という事実。


 多額のお金を払って出版した立派なハードカバーの自伝。書いた本人は、皆が読んでくれていると思い込んでいる。ところが実際は本棚の隅っこにきちんと行儀よく納まっていて、のみならず、一度も開かれた様子もない。これが現実なのだ。一般的な出版数の百冊余りならまだ救われる。ところが、出版社のなかには常套的甘言、
「これは素晴らしい! もしかすると作家になれるかも……」
 その気になって多量の部数を作ってしまう。

 はっきり言って、余程のことがない限り個人の自伝は売れない。今の時代、プロ作家の本でも返品がでる。
 それで、出版社から戻された返品の山を見ることになる。

 

 数年前のことだが、
「狭い家に山積みされた返本の山を毎日眺めることに耐えられなくなった」
 といって、自分史の著者(甘言に乗っかって自費出版した人)がわたしの事務所に来たことがあった。
「○○出版社で、言われるまま多量の本を作ったが、まったく売れない。何とかしてほしい」
 と泣きついてきたのだ。わたしは即座に破棄処分をすすめた。どうにもならないからだ。

 

●これらを見聞きするたびに胸が痛む。
 わたしは、伝記や、それに類するものが好きで、商売プラス趣味の境地でこの仕事をしている。魅力は何と言ってもノン・フィクションという最高の舞台だ。それで、この仕事をする以上、このような現実を何とかしたいという思いがある。

つづく

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