自分史電子書籍出版

自分史自費出版、AmazonKindle電子書籍制作出版

#自分史のブログ 山の辺書房自分史編集室より 第五回

第五回

f:id:bookup:20190706112222j:plain

過去の思い出を訪ねる時、脳細胞が活性化される

 結論として、自伝・自費出版のジャンルは著者の自己満足という領域が大きいと言えるのではないか。
 それでも、何かを書くという行為は、今流行りの脳の活性化に効果的であると脳科学者が言う。
 考え、イメージし、心静かに往時を回顧する。これほど人生を歩むうえで有意義なことはない。

 

●そこで、もうひと押し!
 この素晴らしい事業を成し遂げた作品を世の人々に一人でも多く読んでもらうこと。この、ひと押し! 
 出版後の新たな扉を開くにはどうすべきか。

 なぜ読んでもらえない……本を手にした人たちが多忙なのか、或いは、読むことが好きでないのか。なぜ興味を示してくれないのか。
 答えは……ズバリ面白くないからだ。更にもう一つ……時代の変遷ということもあるのではないかと考える。現在は超情報化現象の渦中だ。指先だけでいとも簡単にあらゆる情報を受けることができる。

 

 一昔前は夢物語だったことが、もの凄いスピードで実現する。
「あぁスゴイ、便利だ、これは楽だ!」のみならず、これらの文明の利器には刹那的なる面白さも加味されている。いきおい、老若男女、さらには子供までもが当然のこととしてこれらを受け入れている。ある種の洗脳現象かもしれない。

 

●本を読むことが好きな人々は勿論だが、そうでない人でも一応は心得ていた筈の「行間を読む」という意識。この言葉さえ既に死語になりつつある。これが人間、各々の人生にとって良いのか悪いのか判らないが、現在とはそういう時代なのだ。
 こんな状況下で、先に掲げたような従来の書出しの本づくりでは通用しない。

 

  じゃ、どうすれば読んでもらえる本になるのか
 本冊子冒頭第一頁め「ど根性」の書出し部分を思いだして欲しい。これはテレビ又は映画のトップシーンのイメージだ。本物の映像ではないが、文字で描いた文章描画ということになる。(この「文章描画」なる言葉はわたしの造語)わたしは約二十年前、この書き方で自著「ど根性」なる実話物語を児童文学として書き上げた。出版後の結果はどうであったか?

一気読み

 

f:id:bookup:20190706112719j:plain


まず第一声は「一気に読んだ」という声だった。
 その後、この方法で今日までやってきた。結果は良好。
 そんな中、古い書き方に固執している或文士から、
「これは単なる演劇のシナリオ台本にすぎない」と酷評された。
 正に彼のいうとおり、わたしの「文章描画法」はシナリオ・台本的ではある。しかし、それがこちらの狙いなのだ。シンプルで適切なト書(説明文)と、フィクション特有のセリフ(会話)……この二つで成り立っているシナリオ。映画監督はこれをもとに絵コンテを描く。この文章描画がしっかりしていれば、自ずとイメージがわいてくる。わたしの狙いはこれなのだ。

 

●読書をするということは、行間を読むこと。
 その醍醐味は、読者自身、自分流のイメージを思い描くことだと考える。同時に、このイメージが鮮明になればなるほど、対峙している物語の世界に没頭することになる。

 イメージの世界に身を置くと、物語の森に入り込み、次の行、次の頁へと魅力的な、或いは刺激的な香りに誘われ、奥へ奥へと歩を進めて行く。そして、我に返った時、このイメージたっぷりの物語の森を通り抜けている自分に気づく。これが、わたしが目指した「一気読み」だ。

 

●確かに、かの文士の指摘通り、自伝とは概ね私小説的である。否、そうあるべきなのだ。そう考えると、わたしのやりかたは異質だ。もっと突き詰めればおよそ文学書らしからぬ作品ということになる。このことは十分承知だ。承知のうえでこの書き方をしている。


 何故か…それは、個人の自伝でも「本気で見てもらえる・読んでもらえる」からだ。
 本は、特に自伝(自分史)の類は、それを書いた著者の生きざまを一人でも多くの人に読んでもらうことが最大の目標だ。ここでは、これは私小説だとか、文学的にどうかなど問題じゃない。自著「ど根性」の場合、「元気が出た」「生きる勇気をもらった」等々、読者の意識改革に大きな影響を与えたことが、読後感想の便りを読んでみて確認された。
 わたしは、これが自伝の王道だと確信している。
 さてここで、「文章描画法」についてもう少し詳しく書いてみる。

つづく

web1.kcn.jp