山の辺書房から話題の復刻版出版
電子書籍「ど根性 nakagishiosamudokatahanseiki」
復刻リライト版を再出版しました。
初版は平成元年「紙の本」として出版したもので、当時は地域のベストセラーとなった実話物語。
敗戦後の日本は社会不安や食糧難などで困窮を極めていた。そんな時代背景の中、現在では想像することも出来ないこと(厳寒の真夜中行った小学生の土方仕事など)をやってのけた主人公の「ど根性精神」を描いたものです。
両親、特に母親の喜ぶ顔が見たいという一途な思い(孝行心)が主テーマとなっている。
出版後、教育関係者からも評価され、地域的ではあるが学校図書にもなった作品。
[内容紹介]
本稿は、和歌山県の寒村「本宮村」が舞台である。(この地は平成十六年、熊野三山の参詣道としてユネスコ世界遺産に登録され、現在は「田辺市本宮町」となっている)
時は、第二次世界大戦の真っ最中。――昭和十三年正月元旦、主人公は生まれた。生家は村一番の赤貧一家であった。村で電灯が無いのは中岸家だけという有様。屋敷は山の中腹にあり、少しばかりの畑があるのみ。生活は、父親が山師で腕は良いのだが博打好きで、稼いだ金の大半をつぎ込み、負けバクチで大損。母親は家計の足しにと毎日藁草履を作り、それを売りに回って生活費にしていた。時節柄食糧難は大都会のみならずこの寒村にも押し寄せ難渋をきわめていた。この環境で主人公おさむ少年は小学校に入学。朝食抜きで登校。もちろん昼弁当などは無い。昼休みになると独り外に出て、人目につかぬ場所で過ごした。
そんなおさむ少年であったが、稀に見る繊細な性格で、とりわけ母親を第一に思いやるという性格。両親は無類の愛煙家。故に、村の催事後には兄と一緒に吸い殻拾いなどに精をだす。また、近所に住む母親の唯一の友人宅に赴き食事付きのアルバイトをした。同時に草履売りも……。
そんなある日、一大事件が起こる。それは、愛する母親に芋泥棒の嫌疑がかかり投獄されるという事件。このことで村八分に陥る。結果は無罪だったが噂は消えず学校での無視が始まる。
小学六年生卒業間近、またもや主人公に災難がふりかかる。それは父親の怪我。中学入学準備に父の稼ぎをあてにしていたが頓挫。なんとしてでも中学入学準備金が欲しい。そこで主人公は驚くべき行動に出る。――小学生が真夜中〝砂利持ち〟をするという信じられない行為。こうでもしなければ中学入学準備ができないからだ。ここで壮絶体験が始まる。体こそ大柄で村相撲では横綱を張っていた彼だったが、これは強烈体験だった。結果、自分で入学準備を果たす。[ここが本稿の山場]
無事中学入学を果たすが相変わらす家計は火の車。そこで又もや真夜中の土方仕事を続けることになる。――一晩中土方した明け方、母がお粥を鍋に入れて現場へ。朝飯の粥を喉に流し込んで、その足で学校へ直行。そんな生活が卒業までつづく。
中学卒業後、地元の土木工事に従事。このとき〝運命の扉が開く〟――第九章、運命の土塊。
第二部では、地元で仕事が無くなり兄を頼って初めての大阪へ。戦後復興の嵐の中でいろんな体験をする。あいりん地区での日雇い。血を売って飯にありつく信じられない行為。大変貌を遂げる大都会の生活。ここで妻となる女性と知り合う。[激動の戦後復興を垣間見る]そんな中、都合良く地元本宮で大きな仕事がはじまる。――オレは都会に向いていない。丁度良い潮時と帰郷。彼の悲願〝土建業開業〟という目標に対するチャレンジがはじまる。その後、妻を娶り、悲願の独立を果たす。その後、数社の子会社設立。世界遺産登録を機に熊野本宮大社門前に事務所移転。同時に道の駅を開業、更に町議会議員歴任。県下初の温泉付き老人ホーム設立等地域に貢献。
この作品は若い読者を対象としているため、シナリオ手法を取り入れ情景描写に重点をおいた。主人公の心の動きや周囲の人々の主人公への思いやりなど、今は希薄になっている昭和初期の人間模様を描く。――若人のみならず、特に団塊の世代には懐かしい。
☆ご感想をいただければ幸甚です。
山の辺書房から話題の復刻版出版
電子書籍「ど根性 nakagishiosamudokatahanseiki」
復刻リライト版を再出版しました。
初版は平成元年「紙の本」として出版したもので、当時は地域のベストセラーとなった実話物語。
敗戦後の日本は社会不安や食糧難などで困窮を極めていた。そんな時代背景の中、現在では想像することも出来ないこと(厳寒の真夜中行った小学生の土方仕事など)をやってのけた主人公の「ど根性精神」を描いたものです。
両親、特に母親の喜ぶ顔が見たいという一途な思い(孝行心)が主テーマとなっている。
出版後、教育関係者からも評価され、地域的ではあるが学校図書にもなった作品。
[内容紹介]
本稿は、和歌山県の寒村「本宮村」が舞台である。(この地は平成十六年、熊野三山の参詣道としてユネスコ世界遺産に登録され、現在は「田辺市本宮町」となっている)
時は、第二次世界大戦の真っ最中。――昭和十三年正月元旦、主人公は生まれた。生家は村一番の赤貧一家であった。村で電灯が無いのは中岸家だけという有様。屋敷は山の中腹にあり、少しばかりの畑があるのみ。生活は、父親が山師で腕は良いのだが博打好きで、稼いだ金の大半をつぎ込み、負けバクチで大損。母親は家計の足しにと毎日藁草履を作り、それを売りに回って生活費にしていた。時節柄食糧難は大都会のみならずこの寒村にも押し寄せ難渋をきわめていた。この環境で主人公おさむ少年は小学校に入学。朝食抜きで登校。もちろん昼弁当などは無い。昼休みになると独り外に出て、人目につかぬ場所で過ごした。
そんなおさむ少年であったが、稀に見る繊細な性格で、とりわけ母親を第一に思いやるという性格。両親は無類の愛煙家。故に、村の催事後には兄と一緒に吸い殻拾いなどに精をだす。また、近所に住む母親の唯一の友人宅に赴き食事付きのアルバイトをした。同時に草履売りも……。
そんなある日、一大事件が起こる。それは、愛する母親に芋泥棒の嫌疑がかかり投獄されるという事件。このことで村八分に陥る。結果は無罪だったが噂は消えず学校での無視が始まる。
小学六年生卒業間近、またもや主人公に災難がふりかかる。それは父親の怪我。中学入学準備に父の稼ぎをあてにしていたが頓挫。なんとしてでも中学入学準備金が欲しい。そこで主人公は驚くべき行動に出る。――小学生が真夜中〝砂利持ち〟をするという信じられない行為。こうでもしなければ中学入学準備ができないからだ。ここで壮絶体験が始まる。体こそ大柄で村相撲では横綱を張っていた彼だったが、これは強烈体験だった。結果、自分で入学準備を果たす。[ここが本稿の山場]
無事中学入学を果たすが相変わらす家計は火の車。そこで又もや真夜中の土方仕事を続けることになる。――一晩中土方した明け方、母がお粥を鍋に入れて現場へ。朝飯の粥を喉に流し込んで、その足で学校へ直行。そんな生活が卒業までつづく。
中学卒業後、地元の土木工事に従事。このとき〝運命の扉が開く〟――第九章、運命の土塊。
第二部では、地元で仕事が無くなり兄を頼って初めての大阪へ。戦後復興の嵐の中でいろんな体験をする。あいりん地区での日雇い。血を売って飯にありつく信じられない行為。大変貌を遂げる大都会の生活。ここで妻となる女性と知り合う。[激動の戦後復興を垣間見る]そんな中、都合良く地元本宮で大きな仕事がはじまる。――オレは都会に向いていない。丁度良い潮時と帰郷。彼の悲願〝土建業開業〟という目標に対するチャレンジがはじまる。その後、妻を娶り、悲願の独立を果たす。その後、数社の子会社設立。世界遺産登録を機に熊野本宮大社門前に事務所移転。同時に道の駅を開業、更に町議会議員歴任。県下初の温泉付き老人ホーム設立等地域に貢献。
この作品は若い読者を対象としているため、シナリオ手法を取り入れ情景描写に重点をおいた。主人公の心の動きや周囲の人々の主人公への思いやりなど、今は希薄になっている昭和初期の人間模様を描く。――若人のみならず、特に団塊の世代には懐かしい。
☆ご感想をいただければ幸甚です。
山の辺書房 新刊電子書籍 ご案内
コロナ禍で疲弊した今
心和ませる自由詩「愛」出版!
●いつもなら読書の秋と言いたいところだが今年は「コロナと読書の秋」となってしまった。
●外出を控えて何しようか? と憂鬱になっておられる方に、懐かしい昭和末期初版の自由詩「愛」はいかが。折れかかった心に何らかの光をあてることが出来れば嬉しい限り。
●副題の Yuniku ritchi とは「ユニークなゆたかさ」という意味だ。AI人工知能が蔓延し人間本来の諸機能が衰退しているのでは? と危惧される昨今、今一度過ぎ去った佳き昭和の世界を覗いてみるのも無駄ではないと思う。
あらすじ
高度成長が終わり、国中が円熟期を迎えた昭和61年、郷土詩人として活躍した著者の自由詩。誰にでもある日常を淡々と書き綴ったもので、昭和を生きた人々には何か心に響くものがある。
日記のような自由詩であるが、読者の共感をよぶことが予想される。
編者として言えることは〝詩〟というより自分史に近いものがある。読み進むうち、作者の背景や心の叫びが感じられる。「いつもメモを持ち歩き、頭に言葉が浮かんだら直ぐに書きました」という彼女、比べられるものではないが同じ著作方法を実践し続けたヘミングウェイのようだ。
それ故、内容的にはグッと読者の心に突き刺さるものもあり、読み終えると作者の生き様が見えてくる。形式や見栄を捨て去ったところに自分史の神髄をみた思いがする。
ちなみに副題にはユニークリッチとある。英語ではUnique richnssと書く。和訳すると〝ユニークな豊かさ〟だ。文中「上を見ればきりがない、下見て生きよう」と言っている。まさに心なすがままペンを執った真実の自分史だ。
以下に著者のあとがきを掲載する。いかなる理由で綴ったかがわかる。
(作者あとがき)
元気な読者の方は気軽に笑ってこの自由詩を読んでほしいのです。
病気の方や気分のすぐれない方は一日も早くストレス解消して元気を取り戻してほしいのです。
くよくよ悩んで暮らすのも一生。命はお金で買うことができません
家族が助け合って仲良く暮らせば病気は薄らいでゆく。
〝病は気から〟と言うように、〝笑う門には福来たる〟と言うように……。
毎日規則正しく食事に充分気をつけて笑って暮らせば病は自然と飛んで行く。
人々が健康で楽しく生活し、幸せになってくださるようにと祈りながら書きました。
山辺書房公式ホームページ
「忘却とは忘れ去ることなり」では今の世は生きるのが辛いぞ!
★激動の敗戦後、生きるため一生懸命頑張ってきた!
★焼け野原に立ち「追い付け追い抜け」を合い言葉に昼夜目的に向かって突っ走った若き日々。そこには、現在という混沌とした時代を生き抜くためのノウハウが一杯詰まっているはず。
★さあ、「今を青春」と位置づけ、100歳まで生きるため、過去の体験を呼び戻そうではないか。
既に過去のものとなりつつある「道徳・人間としての最低限の常識など」
★そこにはキット何かがあるはず。
★「あれはもう過ぎ去った過去の事」などと決めつける前に、今、何かアクションをおこそうではないか。
★思い出紙芝居とは……
●「忘却とは忘れ去ることなり」かの人気ドラマの名台詞だ。昭和ロマンである。
だが「ちょっとお待ちを」と言いたい。忘却で闇に消えることは大変困る。
なぜなら、過去という貴重な根っこから現在へと長い時間をかけ枝葉が成長し〝文化という極上の果実〟を実らせてきたという事実。
●「過去は過去だ、今更過ぎ去った事などどうでもいい。今は前進あるのみだ」という意見――正論かもしれない。そして、going myway! いい響きだ。
●それではここで〝熟した果実〟を食べてみようではないか? 果たして旨いかどうか……。
食リポーター曰く「あまり美味しくない、みずみずしさがない」彼のみならず誰もが感じている食感……
それが今の社会。熟しすぎた果実はやがて腐り地上に落ちる。
●どうもgoing myway と澄まして居るわけにはいかない。あまりにも熟れすぎた果実を当然のこととしてむさぼり食っている現実がある。食後の感想――
「AI全盛時代だ」
「欲しいものは何でも手に入る」
大自然に対する畏怖の念など微塵も見受けられない。一見して〝我が世の春〟を謳歌しているかに見えるが、大変なことが起こっているのだ。つまり感性が鈍化していることに気づいていないという実態。
●無目的・指導者達のイメージ力減衰!
まさに〝虚無の世界〟だ。
このまま腐りかけた果実を食べ続けるのか。先が見えない世界。
●渋沢栄一大先輩の名言
「四十、五十は洟垂れ小僧、六十、七十は働き盛り、九十になって迎えが来たら、百まで待てと追い返せ」。
〝六十、七十は働き盛り〟是は人生究極の定義である。
●腐りかけた果実に飛びつく前に、その大木を支える根っこの養生こそが今最重要課題ではないか。これが「思い出紙芝居」のコンセプトだ。
山の辺書房より アマゾン電子書籍無料キャンペーン開始!
本日から9月6日まで
アマゾン期間限定無料キャンペーン開始です。
★現在闘病中の人々に是非お読み頂きたい手記です。
★山の辺書房自分史編集室出版中の書籍案内
山の辺書房自分史編集室より 無料キャンペーン予告
キャンペーン予告!
さて、何が話題作かということだが、齢70後半の著者がまるで青年のような感性で綴っていて、同時にガンという最悪のステージに立ったにもかかわらず、全てのことに超ポジティブ思考で対処していることだ。
本書は、同じ病に苦しむ方々はもとより、他のご病気で落ち込んでおられる人に勇気を与えてくれる。
★9月1日までは有料販売です。
★この本の内容